RaIN-TRaIn
ブロックに乗せた空き缶がひしゃげて跳ねる。
慎重に狙いを付けて、銃爪を引く。撃鉄が信管を叩き、火薬が燃焼し、9mmの鉛が旋状痕をその弾体に刻みながら銃口を抜け、空気の層を突き破り、離れた目標を破壊する。
5つの空き缶を一発も外すことなく撃ち落としたルノは、硝煙の立ち上る黒い銃を腰のホルスタにしまい、的を作り直しに行く。
「良い場所見つけた」
ルノは上機嫌で空き缶をブロックに並べていく。
廃ビルに囲まれた小さな空き地は、通りからも離れており人が入ってくることはまずない。射撃の練習をしていても銃声を聞き届ける者など居ないだろう。
この最高の練習場所は、たむろしていた不良少年から格安で譲ってもらった。紙幣を数枚ばらまいて、一人が持っていたバットを銃で吹き飛ばしてやったら快く明け渡してくれた。いい人たちだ。
空き缶を並べて、二十歩ほど後ろに下がる。距離にして15mほど。拳銃で狙うにはそこそこの難易度だ。
脇に置いていたコーラを一口すすり、まだ熱を持った銃を抜く。
この黒い銃───店主はベレッタM92Fと言っていた───はルノの手に余る大きさだったが、両手でしっかりと構えれば撃てないことはなかった。しっかりと照準を付けて、呼吸を止め、銃爪を引く。
キシュンというアルミ箔を噛むような音が弾け、離れた空き缶が飛散する。
これは良い銃だ。消音器が付いているおかげで音は小さいし、威力も高い。おまけに弾は“薬屋”で大量に入手できた。少々練習したくらいでは弾不足にはならないだろう。この強烈な反動にさえなれてしまえば有効な武器になる。
武虎の銃は特殊な弾を使っているのか、マガジンもないバラ弾で数発しか手に入れられなかった。実戦までこの銃はお蔵入りだ。
黒猫は練習するルノをよそに、空き缶が並ぶブロック塀の上で丸まり、発砲に怯えることもなく暢気に寝息を立てている。
ルノは一発一発を慎重に撃ち、己のスキルを少しずつ高めていった。
日が暮れるまで練習は続き、着々と近づいてくる死戦に彼女は舌をなめずった。
† † †
三日が過ぎた。
事務所を襲撃した犯人は捕まらなかったが、ある日を境に他の組が襲われることがなくなり、本日21時をもって鷲尾笙山は第一九代呉葵組組長を襲名した。
龍神会からの祝いの訓辞。新組長からの挨拶。玉杯を酌み交わして式が終了すれば、あとは宴会へと流れるだけだ。
芸妓が呼ばれ酒巵(しゅし)が振る舞われる。龍神会傘下の組からの代表が顔をそろえ、三十名近くがこの席に出席する。
それに対する用意は万全だ。塀の高い武家屋敷を警護するのは呉葵組の組員。出席者も各護衛をつけている。
この屋敷を襲撃することは不可能だ。
───だが、来るだろう。
藤堂には確信めいた予感があった。宴席からふすま一枚を隔てた部屋に待機し、じっと彼女が現れるのを待つ。
彼の主は龍神会の面々をもてなすので大忙しだ。ふすまの向こうからは華やかな談笑が聞こえてくる。
だが、それらは狗の自分には一切関係がない。
唯々闇に潜み、同じく闇を住処とした新参者を待ち受ける。
ただ、それだけだ。
† † †
「ささ、一献」
手ずから酌をし、鷲尾は龍神会の老君をもてなす。
「これはこれは、呉葵組組長のお酌とあれば有難く頂戴せねば」
さかずき一杯に灘の酒がつがれ、初老の男は大げさにあわてて杯をすする。
鷲尾は上機嫌だった。藤堂の役立たずは結局あの鉄砲玉を見つけられなかったが、その間襲撃もなかった。この宴会が無事に終われば、自分は晴れて龍神会の幹部入りとなる。そうなればあの忌々しい鉄砲玉を燻りだして始末するなど容易いことだ。
返しの杯を受けながら、鷲尾は内心で満面の笑みを浮かべていた。
「おっとっとっ」
酒がなみなみとつがれていく。しかし、こぼれる手前で止まるはずの酒はそそがれ続け、盛大にあふれた酒精が鷲尾の衣服を汚す。
「(ジジイが……。もう酔っぱらいよったか)」
内心の怒りを笑みで隠しつつ、謝罪の言葉を受け取ろうとした鷲尾の表情が凍り付いた。
老人はうつむいていた───両のこめかみから血を流しながら。
「カチ……!」
続く言葉は芸妓の甲高い悲鳴にかき消された。
女たちの狂乱の中、一人、また二人と倒れていく。
だが、そこにあるべきはずの音がない。
銃声だ。弾丸が撃発される音はせず、しかし次々と客は倒れていく。
鷲尾は突然の襲撃に混乱しつつ、それでも新組長としての胆力か、芸妓が逃げまどい男たちが絶命していく中も、状況を分析していた。
そして気づく。表廊下に面した障子の異変に。
白い薄紙に穿たれたいくつもの黒い点。わずかに焼け焦げたその穴がさらにもう一つ増やされる。
「げぱっ?!」
隣で死に損なっていた男にとどめが刺された。
外から狙撃を受けている? だがどうやって? 障子の紙は薄いとはいえガラス窓とは訳が違う。中の様子をうかがうことはまず無理。見えたとしても障子紙に映る影ぐらい───
「!」
鷲尾は信じたくない結論に至る。そして自分でも信じられない事実を彼は叫んだ。
「灯りや! 行灯を消せ! 敵ァ影を頼りに撃ってきとるンや!」
組員たちは鷲尾の声を聞き、大急ぎで行灯を蹴り倒していく。
「待ちなせえ! 灯りを消しちゃならねえ。それより這って中へ───」
「やかましいわ藤堂! こん役立たずが! 元はと言えばおまえがあの鉄砲玉ァ仕留めそこねたんが原因やぞ! 無様に生き恥さらしとるボケが口ィ開くな!!」
鷲尾は口汚くののしり、組員が最後の行灯を踏み消した。
闇に包まれる六〇畳の和室。障子の穴から差し込む細い月明かりは道標にすらならない。
狙撃はぴたりとやみ、負傷者のうめき声やざわめきだけが暗闇をそばだてる。
───それ見たことか。
自分の判断が的確であったことに鷲尾は確信を得る。組員たちに龍神会幹部の脱出を命じようとして、その確信はものの見事に撃ち砕かれた。
ぱちゃ、と水が弾けるような音がして、近くにいた男の首が九〇度曲がる。足を押さえてうずくまっていた幹部は自分が無様な断末魔を上げたことにも気づかずに死んだ。
それを皮切りに、至る所で死の合唱が再開する。
気道に穴を開けられて血笛を吹く男。膝を撃ち抜かれて小鳥のような悲鳴を上げる逃げ遅れ。幹部たちの無様な断末魔───がそこいら中で大合唱を始める。
そして、それに混じって聞こえてくるわずかな異音。アルミ箔を噛むような、不快な金属音だ。
キシュン、と銀膜が鳴ると、闇の向こうで誰かが倒れる。
この暗闇の中、どうやって狙撃を続けて───まさかもう屋敷内にいる?
その発想に鷲尾が行き着いたとき、彼の脇をすり抜け、長身の影が風のように駆けていった。
鈴のような抜刀音。薪割りのような斬殺音。
白刃がわずかな月明かりに閃いて、目標のものを両断する。
「───ちィッ」
確かな手応えに、しかし藤堂は舌打ちして横へ跳んだ。
今斬り殺したのは半死半生だった組員だ。襲撃者は半死体を盾にして飛び退いている。ご丁寧に鉛玉の反撃までおまけして、だ。
だが、藤堂もそれを読んでいた。消音銃弾を躱しざまに、懐の燐寸(マッチ)に火をつけて闇の向こうへ投げつける。端折り式の燐寸は次々と引火し、燐光が襲撃者の姿を闇から引きずり出した。
鷲尾がのどを震わせて驚愕の声を上げる。
「な……お、女……ガキやと……?!」
ひそやかな血の海に、黒い消音銃を携えて、少女はそこにたたずんでいた。幽鬼のように茫洋と斜に構え、緑色の目をした不気味な黒猫を左肩に乗せている。
「こんばんは。さようなら。またいずれ」
鷲尾には意味不明な挨拶をして、少女はその細い指で銃爪を引いた。銃声はどこまでも小さく、銀膜を噛むその音は、鋼の硬音に阻まれた。
「っ……ぃィ」
のどを引きつらせる鷲尾の前には、鈍く耀(かがよ)う黒鉄の鞘。
少女は感嘆の声を上げる。
「すごいや、藤堂さん。石川五右衛門みたい。斬ってないけど」
「銃口の向きさえ見切れば、鞘で弾くぐらいはできまさァ。江戸の大泥棒がこんな戯技をやったとは初耳ですがね」
「その五右衛門じゃなくて。ルパンの。斬鉄剣」
「ザンテツ……? フランスの大泥棒がどうしやした?」
死体が転がる戦場にあって、頓珍漢な会話を繰り広げる二人のやりとりは出来の悪いコメディ映画のようだった。
頭をホワイトアウトさせていた鷲尾は、震える足を押さえ、それでも組長の意地で覇声とともに立ち上がる。
「藤堂! 何を暢気に喋くりあっとるんじゃ! その糞餓鬼ィちゃっちゃとブチ殺したらんかい!」
その言葉に反応したのは藤堂ではなく、周りで様子を見ていたヤクザたちだった。
血と暴力の世界で生きてきた男たちだ。混乱さえ収まればたちまち名にふさわしい『暴力団』と化す。
おのおのの銃を抜き、問答無用で撃ちまくる。
銃───とりわけ拳銃というものは想像しているよりもずっと命中精度の悪い武器だ。素人では十メートル離れただけでもう的に当てられなくなってしまう。
飛び交う銃弾は少女をかすめることもせず、それを嘲るように彼女はよく狙いを定めて四発撃ち、たちまち三人を絶命させた。
「さあ───」
取り囲まれた少女が笑む。およそ少女が浮かべるものではない、肉食獣の笑み。
「遊ぼうよ」
無邪気に笑って、少女はトンと畳を蹴った。向かった先は穴だらけの障子。わずかな隙間に体を滑り込ませ、ぱたんと戸を閉じる。
なんのことかと、組員たちは呆気にとられた。
「逃げたぞ! 追わんかいボケェ!」
鷲尾の怒声で我に返る。
遅れて、組員たちの放った銃の音に気づいた見張りたちが外から戻ってきた。少女がその隙をついて外に逃げたのは言うまでもない。
そして、長い長い、真夜中の追いかけっこが始まった。
† † †
死んだ。死んだ。死んだ。
殺した。殺した。殺した。
まるで簡単だった。
当たりもしない銃を乱射して追いかけてくる男達。
歌うように血を流し、踊るように死んでいく。
撃って、撃って、撃って。
殺して、殺して、殺して。
そして───
† † †
ルノは顔を押さえてうずくまっていた。『父親』に殴られたことは何度もあったが、それよりもずっと痛い。殺すつもりで殴られると人間の体は跳ぶのだと知った。
「この糞餓鬼ァッ!」
腹を蹴られ、油で汚れた地面をサッカーボールみたいに転がる。ルノは人目憚らず夕飯に食べたハンバーガーを吐き戻した。
「糞餓鬼が、糞餓鬼が、糞餓鬼がっ……! ようやってくれたな、ええおい!?」
憤怒の形相でルノを痛めつけながらも、鷲尾の声は憔悴しきっている。まるで泣き出す手前の子供のようだ。
鷲尾の周りに転がるのは、絶命したヤクザたち。
のべ四十人以上の死体をこの華奢な子供が製造したのだ。
逃亡しながらヤクザたちを巧妙に誘導し、踏切などを利用して隊を分断。各個撃破しつつ、ひとけのない廃工場に誘い込んだ。
ヤクザたちにもそれが罠だと分かっていただろう。だが、それでも彼らは退くわけにはいかなかった。ヤクザが落とし前もつけずに逃げていいわけがない。
しかしてその矜持は彼らを全滅の危機へと追い込んだ。
暗い闇からの無音の狙撃。一人、また一人と打ち倒されていき、ヤクザたちはあっという間に恐慌状態に陥った。やたらめったらに銃を撃ちまくり、それがルノに当たるはずもなく、仲間に背中を撃たれる者まで出てくる始末。
それを終わらせたのは、空撃ちする銃爪の音だった。屋敷とあわせ百発以上を撃った黒い拳銃はついに弾薬が切れた。
逃げようとするルノの前に立ちふさがる藤堂。後ろには鷲尾と二名の組員。逃げ場を失ったルノがまずされたことは、顔面の強打だった。
後はひたすら鷲尾の気が済むまで暴行を受け続けて今に至る。
「くふ、くふふふっ。ガキが……張り切りよってからに」
這いつくばったルノに二人の組員が銃を突きつける。命令があればすぐに彼女を射殺するだろう。
殴るのに疲れた鷲尾は、不動のまま直立する藤堂のところへ戻った。頑健な肩をひじ置き代わりにして、深いため息をつく。
「俺はもう終わりや……。残ったんは手下三人と龍神会の幹部をみすみす殺された汚名だけ。おんどれが事務所から何からみんな潰してくれたおかげでなァ」
どす黒い感情を低い声に乗せる鷲尾に、ルノは酸性の唾液を袖でぬぐって上半身を起こした。ぺたりと床に腰を下ろし、男たちが銃の撃鉄を起こすのにも構わず、不思議そうに首をかしげる。
「事務所……? ……わたし、知らないよ?」
「…………ッッッ巫山戯たことぬかすな!! あれだけのことォやっといて、知らんで済むと思うたら大間違いやぞ。たっぷりとその身体に償わせたるから、覚悟せ───」
「だから、知らないってば」
「……………。……もうええ。オイお前ら、そいつ輪姦(マワ)したれ」
鷲尾の発言に二人の組員はぎょっとした。
そこら中に死体が転がるこんな場所で年端もいかない子供を犯せという。
今の組長は明らかに常軌を逸している。真夜中とはいえ、これだけの銃撃戦をやったのだ。警察が駆けつけてくるまでもう幾ばくもない。今自分たちがやらなければならないのは、早々にこの場から離れることだ。少女を痛めつけるのは後でいくらでもできる。
ためらう組員に、鷲尾は苛立たしげに瞼を痙攣させた。
「俺がや 犯れ言うたら、きりきり犯らんかい───」
「若頭(カシラ)、お待ちを」
懐に手を入れた彼を横合いからの声が止める。二度も話を遮られ、鷲尾は不機嫌にうめいた。
「………組長や。なんどい、くだらん話なら後にせえ」
「そのお嬢さんが言ったこと、すべて本当です」
「……なんやと?」
「今回のカチコミはともかく、前の四件の事務所潰しはお嬢さんの仕業じゃァありません」
「……。……どういうことや、藤堂。なんでお前がそんなこと知っとる」
「まぁ、聞いておくんなせえ。先代が亡くなってからこっち、呉葵組は荒れていく一方だ。あっしは常々思っていやした。このままじゃヤクザは腐りに腐って堕ちるところまで堕ちちまう」
そんなとき、『都合良く』彼が詰めていた事務所がカチコまれた。彼一人を残し、事務所は壊滅。相手にも深手を負わせたが、逃げられてしまう。
死体が浸かる血風呂に一人たたずみ、藤堂は天命を受けた。
「ああ、これは組長(オヤジ)の恩を返す最高の機会だと」
「ッッッ………おんどれ、おんどれは……!!」
もう鷲尾の頭の中ではすべてがつながっていた。
最初の事務所襲撃の生き残りは藤堂。鉄砲玉を探しに出ている時、最後に戻ってくるのも藤堂。熱心に探し回っていたと思っていたその行動が、実はそうでなかったとしたら。
「ああ。誰にカチ込まれたか分からないと言ったのは嘘でやす。鉄砲玉は十中八九、白虎会の手の者でさァ」
「おんどれァッ! 恩を仇で返すとはどういうつもりや!」
「あっしが恩義を受けたのは先代だ。アンタには小指の爪の垢のカケラすらも恩なんて感じてねえ」
酷薄な眼で睨(ね)めつけて、藤堂は吐き捨てるように言う。
「近頃のアンタらの所行は目に余る。アンタ、組長が残した呉葵組をテメェの都合で潰す気かい?」
「ほんならお前は何をやっとる言うんじゃ! チャイニーズどもの尻に乗っかってコソコソ事務所を潰して回るのがテメェの恩義の返し方ァ言う気か?!」
「ええ、そうでやす。ここまで腐れた呉葵組を治すにゃあ、少々の荒療治じゃ足りないと思ったんでさ。中国人という毒もうまく使えば良薬となる。あの武侠の兄さんがやったように見せかけようとしたンですが、どうにもあっしはチャカって奴が苦手でして。もっと綺麗にやるはずが、挽肉を作ることになっちまった」
「ッッッッッッ………!!!!」
ブツンと比喩抜きで鷲尾の緒が切れた。怒りにまかせて銃を抜き放ち、鷲尾の右腕は肘から先がなくなった。
斜めに切られた腕から血が噴き出すのと、鷲尾が絶叫を上げるのは同時だった。
「チャカはいけねェ。やはりあっしにはこいつが性に合っているようで」
チンと鯉口を鳴らして、刀が鞘に収められる。漆を重ねたの黒鞘の刀。柄には鍔も紐飾りも付いていない。一見では鉄の棒にしか見えない簡素な作りのそれは、男の身体の一部のように片手に携えられている。
「ギ……あ……がっ……!」
「こうなった以上はもうアンタには任せておけねえ。呉葵組はあっしが盛り立てさせていただきやす」
脈に合わせて血を噴く腕を押さえ、鷲尾は藤堂を睨み上げる。
「おんどれェ……。大層なごたく御託並べて、結局はなんや、お前も組が欲しい言うだけの話やないか……! 日陰モンにされとったんがそんなに恨めしいんかっ……!」
「は」
藤堂は自分の額をわしづかみ、手のひらからこぼれた口をいびつに吊り上げる。
「ははははははははははははははははははははははははは!!!」
月夜にのけぞり、藤堂はけたたましく嗤った。
伝染しそうな狂気の笑みを貼り付けて、その表情は彼自身の手でぶつ切りにされた。
「そうだったら、どれほど楽な事か」
鷲尾の頭が泥水に沈んだ。腕と首を失った死体は尻を天井に向けて、だらしのない姿勢で倒れた。
「……と、藤堂さん。これはどういう───」
二人の組員は銃をルノから藤堂に向け、困惑の声を上げる。
「今聞いての通り、こういう事でさ」
ばさりと藤堂の長外套が翻る。どこに隠していたのか、その手には長い弾倉のついた軽機関銃が握られていた。
「なっ!?」
組員たちは反射的に銃を撃った。だが的は外れ、長外套に二つの穴をあけただけだった。
そのときにはもう藤堂は軽機関銃を男たちに向けていた。
一秒間の間に放たれた弾の数は二十数発。その大半は外れたが、男たちを挽肉にするには充分だった。
二人の男は錐もみしながら地面に倒れ、藤堂は空になった軽機関銃を水溜まりに放り捨てる。じゅうっと音を立てて、水面の月が揺れて消えた。
「やっぱり銃は性に合わねえ」
眼鏡を押し上げぽつりと呟く。
「───さてお嬢さん、身体の具合はどうでやすか?」
「うん。全然平気」
ぱんぱんとパーカーの埃を払ってルノは立ち上がった。
「そいつは重畳。これで心おきなく殺し合えるってもんだ。いつかの約束、今ここで果たしましょうや」
「そうだね。でもその前に一つだけ訊きたいことがあるんだ」
「なんなりと」
「ウーフーをあんな風にしたのはあなた?」
「そうでやす」
「ウーフーは強かった?」
「剣を交えたことを誇りたくなるほどに」
「そう、ありがとう。それじゃ───」
冬の夜湖のような瞳が見据える。藤堂の首筋がざわりと毳立った。
氷柱を脊髄にねじ込まれるような、濃密な殺意がルノの唇に乗せられる。
「あなたは、わたしが、殺してあげる」
発砲。ルノは腰から引き抜いた銀銃で藤堂を撃った。
「がっ……!」
藤堂の腹から血が飛沫(しぶ)く。長ドス一本で銃を持つ敵と渡り合ってきた猛者が反応もできなかった。
血を吐きながらも踏みとどまる藤堂に、ルノは容赦なく銃弾を叩き込んでいく。二発、三発、四発、五発、六発、七発目で弾が切れた。
藤堂は倒れなかった。腹や胸から血を流し、だがその量は明らかに少ない。
「…………」
ルノは冷静に銀銃の弾倉を交換し、遊底を引いて初弾を薬室に送り込む。
「……やりますね、お嬢さん」
仁王立ちしたままうつむいていた藤堂が顔を上げた。
「天性の資質だけじゃ、こうはいかねえ。短い間にずいぶんと鍛錬したようだ」
傷口に指を入れ、まるで面皰の油でも絞り出すようにまさぐり、抜いたときには、ひしゃげた鉛がその指に摘まれている。
「あ、はは」
ここにきて、初めてルノの頬を一筋の汗が伝った。
「藤堂さん、本当に人間? 実は未来から来たターミネーターとか言うオチはない?」
「あいにくと銀幕から産まれた覚えはありませんや。過去からのさばってる亡霊ではありますがね」
七個目の鉛玉を床に捨て藤堂は言った。
「その銃は小口径の.22S弾を使う小型の拳銃。反動が小さく命中精度も高いが、威力は滓(かす)同然。肉を締めれば受け止められぬことはありません。あとは覚悟の問題でさ。お嬢さん、その豆鉄砲じゃあっしの頭蓋を砕くこともできやしませんぜ」
「……驚いた。刀を使うのに銃に詳しいんだね」
「刀使いだからですよ。敵の使う得物を知ってないと、白鞘一本で生き残っちゃこれませんや」
「? 鞘、黒いよ?」
指さすルノに、藤堂は左手の刀に目をやり、
「こりゃあ、一本とられた」
跳躍する。地面を舐め上げるかのような超低空の疾駆。その長身からは考えられない速さで、一気に間合いを潰しにかかる。
銃を撃つ間などありはしない。鋼が打ち合い、火花が散り、小柄な体が吹き飛ばされる。
ルノは地面を転がっていき、藤堂は感嘆の声を漏らす。
「ほう、あっしの刀を銃身でいなすたぁ。頭で分かっていてもそうそう巧くはいかないもんでさ。その銃にはチャイニーズの兄さんの魂でも宿っているんですかね」
銃身に付いた傷は三つ。丹念に手入れされた銃にあって、その傷は深く醜い。
「今まで避けられたことがなく、受け止められたこともない。ちょっとした矜持だったんですが、同じ銃を使う相手に三度もやられちまうたぁ『この界隈』は狭いようで広いですなァ」
まるで茶飲み仲間にでも語りかけるような穏やかさで、藤堂は刀を鞘に収めた。
「まともに受ければナマスですよ、お嬢さん」
先ほどと同じ、身体を低くたわめた奇抜な構え。
ルノは肩の力を抜いて、楽に銃を提げる。
両者は動かない。割れた窓から差し込む月明かりだけが頼りの仄明るい闇を、殺意がじわじわと塗りつぶしていく。
月が朧雲に翳(かげ)り、再び月光が差し込んだとき、殺意に耐えかねた窓ガラスが自殺した。
ぱきん、というその硝音が硬貨の代わりだった。
銀銃が怒号する。眉間、首、心臓、股間を狙った四発の銃弾は稲妻のように不規則な動きで回避され、まばたきする間にルノは藤堂の攻撃圏内に取り込まれている。
あり得ない低さからの抜刀。神の域に到達せんばかりの一閃を、ルノは勘だけではじいて反らす。少女の身体は宙に浮かされ、無力感が臍を縮こまらせる。銃に四つ目の傷を付けてしまったことが許せなかった。
刃の借りは銃弾で返す。顔面を狙った二連射。この距離ならば絶対に躱せない。
「ならば!」
反撃の銃弾は、盛り上がった肩の筋肉で受け止められた。
抜刀した刀が翻り、空中のルノを袈裟懸けに斬りつける。浅い斬撃はルノの柔肌をたやすく切り裂いた。
血で螺旋の軌跡を描きながら、ルノの身体が地に落ちる。
出血は多量だ。みるみる空色のパーカーが紅く染まっていく。肩から胸にかけて斜めに開いた傷は、氷で灼かれる痛みとなってルノの身をよじらせた。
「心頭滅却すれば、銃弾もまた涼し。あっしを仕留めるには些か火力が足りませんでしたな」
「っ………あはは、やっぱりターミネーターだ……」
這いつくばったルノは傷口を押さえながら、刀を突きつけてくる藤堂を見上げた。
「…………。ねえ、藤堂さんはこれからどうするの……?」
「命乞い……じゃありませんね。アンタはそんなことをする女じゃない」
とどめを刺さずとも、ルノの傷はすでに致命傷だ。一時間と経たない内に出血多量で死に至る。
「そうですな……死出(しで)の話し相手があっしでよければ」
血の付いた刀を鞘に収め、藤堂はルノの前にひざまずいた。
「これからどうする、と聞かれましたね。呉葵組はあっしが継ぐと言いましたが、おそらくそれは無理でしょう。たとえお嬢さんの死体を引きずっていったところで、幹部を皆殺しにされた汚名は消えはしねえ。組は取り潰され、あっしも一組員として龍神会系の組に厄介になるでしょうな」
「そこでまた上を目指すの? ヤクザの世界を変えるために」
「先代との契りでやすから。守るべきは組の看板ではなく組長の遺志。そのためにゃ龍神会の頂点に立たなきゃならねえ」
「無理だよ……。『わたしたち』は誰も彼も殺してしまえるけど、人の上にはきっと立てない。犬や猫じゃ、人の上には立てないんだよ……」
「その定めを覆してみせるのがあっしの一念。立ちはだかるすべてを斬って捨てる修羅の途(みち)。あっしはもう止まることはありやせん。地獄の火車のごとく走り抜けるだけでやす」
「……そう」
短く答えて、ルノは目を閉じた。
「介錯が必要で?」
「まさか……。勝負はまだ着いていない。わたしの銃にはまだ一発残ってる」
「その一発の銃弾でいかがなさる気で?」
「こうなさる気」
目を開けたルノは銃を持ち上げ、藤堂に向け───るのではなく、真上に向かって撃ち放った。
軽い銃声に続いて、ガラスが盛大に砕けた音が響く。
ルノが狙ったのは、玉の切れた電球だった。工場用の大きな電球は粉々になり、鋭利な驟雨となって二人に降りそそいだ。
「ぬっ!?」
藤堂は長外套を翻し、長身を防護する。
大きな破片のいくつかが外套の上から肌を裂いたが、藤堂は構わずルノを斬りつけた。
だが、そこに少女の姿はない。
血溜まりと、闇の奥へと続く血の跡だけが残されていた。
† † †
ルノは朽ちた荷役重機(フォークリフト)を背もたれにして、震える指で弾倉に弾を込めていく。
残る弾はパーカーのポケットに入れていた五発のバラ弾だけ。換えの弾倉はない。弾詰まりを起こしたらそれまでだ。
血を吸って重くなったパーカーは脱ぎ捨てた。袖の部分をアーミーナイフで切り取り、包帯代わりにして肩に巻き付ける。
「……寒い……」
息が白くこごる。失血と夜の冷気にルノは肩を震わせた。
不意に、猛烈な眠気が襲ってくる。だんだんと視界も暗くなってきた。
死が、近い。
「……もう眠ってもいいかな……。休んでもいいかな……。いっぱい殺したもの。ウーフーと同じところに逝けるよね……」
瞼が重い。肌の上を零れていく血が暖かい。力の抜けた身体がずるずると下がっていく。
死出の長い吐息をつこうと、ルノは息を吸った。それを邪魔したのは、
「にぃ」
という気楽な黒猫の鳴き声だった。
「……………。もう、察してよね……」
ミルクくさい舌で鼻先を舐めてくる黒猫を抱き上げる。戦いが始まる前に逃がしたはずが戻ってきてしまったらしい。
黒猫は悪魔の使いではないし、ルノも少しばかり人より器用なだけの少女だった。世界は甘くない。優しくもない。
生きたいのなら───、
「しょうがない。もうちょっとだけ頑張るか……」
頑張るの嫌いなんだけどな。そうつぶやいて、ルノは決戦の地へと足を引きずっていった。
† † †
藤堂は血の跡を追わなかった。
わざわざ追わずとも、時間が来れば少女は勝手に力尽きるし、あの狡猾な少女のことだ。何か罠を仕掛けている可能性は多分にある。
藤堂は死体が転がる廃工場の中で、最も広い場所に陣取った。黒鞘を左手に、ただ、そのときを待ち続ける。
待つことには慣れている。つくづく自分は『狗』なのだな、と藤堂は自嘲した。
月も朧に翳り、辺りは完全な闇に堕ちた。
すう、と藤堂は深く息を吸い込んだ。
───ああ、この匂いだ。たまらねェ匂いだ。血と硝煙の匂いだ。臓物とドブ泥の匂いだ。たまらねェ、たまらねェ───
「───お嬢さん、あんたァ、たまらねェ女だ」
罠も小細工も捨て、ただ己の五体と一丁の銃を携えて現れた少女に、藤堂は狂喜に身を打ち震わせた。
ルノはくしゃくしゃにしお萎れた煙草を咥(くわ)え、百円ライターで火を付ける。一服つけて、口笛のように紫煙を細く吐いた。
「わたしはわたしの都合であなたを殺す。あなたはあなたの都合でわたしを殺す」
「それが殺し合いというものでさ」
「うん、納得ずくの殺し合い。だからここを終わりにする」
再度決戦の舞台に立った二人。
立会人は黒い子猫。
合図はルノがはじいて捨てたマルボロの消火音。
屍山が作った血河に、煙草が回りながら落ちていく。それはやけにゆっくりと弧を描き、『その瞬間』に向けて両者は筋肉をたわめた。
燃え先が血河に触れた。
煙草の火は消えなかった。
小さな火種は、噴き上がる紅蓮に飲み込まれた。
「っ!?」
そこにきて、藤堂はようやく気づいた。
血潮に混じるわずかな油の臭気───ガソリンだ。
紅炎は俊敏な蛇のように地を這い、藤堂を喰らうかのごとくとぐろを巻いた。
すべては布石。大量の死体は撒いたガソリンの匂いを隠すため。
銃を持っていながら鷲尾たちに捕まったのはこの場所を隠すため。
傷は浅いが出血の多い血管を斬らせたのは、藤堂に致命傷と思わせ追われないようにするため。
広いこの場所に罠を仕掛けたのは、藤堂が決戦の場所にここを選ぶと読んだため。
数え出せばきりがない。彼女の一挙一動すべてが、罠だ。
だが、その程度の罠に囚われるほど、この獣は甘くなかった。
「グオオオオオァァァァァァァァァッ!!」
藤堂は咆哮した。
力任せに振り抜いた刀は颶風(ぐふう)を巻き起こし、包み込む劫火を一撃で衝破した。
熱気もろとも掻き消され、廃工場は再び闇に戻される。炎にあぶられた瞳孔はまるで前が見えていない。だが子細はない。征く先に障害はなく、敵の位置も知れている。
藤堂は獣のように吠え猛り、闇を斬り裂かんばかりに疾駆───できなかった。
冷たくなめらかな指先が、藤堂の胸に触れている。優しく愛撫するその感触が、藤堂の怒りを冷ましていく。
もはや勝負は決していた。ルノは慈悲深く狗の言葉を待つ。
獣から人に戻った藤堂は、小さく告げた。
「…………。……おやりなせえ」
切れ間のない銃声。
零距離から放たれた五発の銃弾は藤堂の腹筋を突き破り、臓腑をかき混ぜた。男は口からグズグズになった何かを吐いて、仰向けに倒れた。
「……っく」
銀銃が落ちる。ルノは折れた手首を押さえてひざまずいた。
黒猫が駆け寄ってきて、心配そうにルノの指先を舐めた。
それからしばらく経って、手首の痺れが鈍痛に変わる頃、
「……煙草を、一本もらえやすか?」
濁った声で藤堂がつぶやいた。
もうその身体は指一本動くことはない。ルノは潰れたマルボロから一本抜いて、血まみれの口に咥えさせてやった。火を付けると藤堂はうまそうに煙を吸った。
「……さぁ、行って下せえ。花道はあっしが飾らせていただきやす」
「さようなら藤堂さん。すごく『良かった』よ」
「………ははっ、こりゃあ、勝てねえわけだ」
藤堂は初めて心の底から可笑しそうに笑った。
二人が交わした言葉はそれで最後。ルノは片足を引きずりながら工場をあとにする。
ルノが外に出てすぐ、業と背後で火の手が上がった。炎は見る間に燃え移り、廃工場を棺に死体を火葬していく。
赤々と燃える炎の熱を背中に感じながら、ルノは力尽き、倒れた。